世界進出していく100年以上続く会社の秘訣
事業内容について教えてください。
はい。北海道旭川市で明治40年創業の水野染工場の4代目をさせていただいています。東京浅草では2004年に染の安坊(あんぼう)という会社を立ち上げて、手ぬぐいの販売や暖簾、半纏の販売などのオーダーを受注する会社の2つを経営しています。
-ありがとうございます!ちなみに、「OKUROJI」にある店舗はまた別の会社になるのでしょうか?
そちらは「水野染工場」の東京の支店なんです。
-なるほど。ありがとうございます。ホームページなどには暖簾や神社の幕とかですね、色々されてるかなと思うんですけど、1番最初に会社としては、どんな染物から事業をスタートしたのでしょうか?
創業者は富山にて染物屋を営んでおりましたが、明治時代北前船で富山から北海道旭川市に移住した人が多く、先に入植された方から誘われ旭川の地へ移住、当時は着物を中心に染めていたみたいです。
-時代の流れとともに事業も変化しているんですね。水野さんが4代目社長に就任されてから26年ほど経たれるのかなと思うのですが、水野さんが社長になられたタイミングで始めた、サービスもしくは商品はあるのでしょうか?
そうですね、社長になった時かどうかはわからないけれど、僕が入社した時は従業員さんが3名の会社でした。そこから今が大体65名ぐらいの会社なので、社長になってから始めたというよりも毎年なにか新しいことを始めています。
-それは、製品、サービス以外のところでということですよね
例えばホームページの作成自体は1997年にはやり出していて、海外展開は2010年頃に行いました。
-えー!インターネットが出始めた時期にすぐに始められたと言うことですよね…
その間に本社の移転や第2工場、第3工場を作ったりしました。今は第4工場まであるのですが、 昨年北海道の美瑛町という所に「愛染結の杜」という愛染に関連した体験のできる施設を出したりと色々なことをやってます。
-美瑛の「愛染結の杜」はとても景色が綺麗ですよね、まだ行けていないのですが、Instagramはいつも拝見しています!ちなみに、海外に出そうと思ったきっかけはあるのでしょうか?
海外に出そうとしたきっかけは「なにか夢を持たなきゃなんないな」と思って、スタッフさんの前で 「僕の夢は海外展開だ」みたいな。理由は北海道旭川市から東京に出て行ったという会社は意外に少ないからです。僕みたいな人間でも出ていけたんだからみんな頑張れよみたいな話をしたら「 じゃあ次の将来の夢はなんですか。」と聞かれたから、「旭川から東京に出ていったから、今度は東京から海外展開です」と。
-夢がありますね!従業員さんもワクワクしそうです。
話していると「じゃあうちに来ないか」「どこに来ないか」とか、色々な話が広がって行きました。最近で言うと、ニューヨークでミシュランがついているレストランにも暖簾を収めさせてもらっています。
-すごいですね!そのレストランは日本料理屋さんですか?
そうですね。ニューヨークには高級レストランが多くあるのですが、その辺に結構な数を納めさせてもらっていますね。
-それって何がきっかけで貴社を知って、納品までになるんですか?
向こうに住んでるバイヤーさんと僕が単純に仲良くなったと言うのが理由ですね。夢を語っていると色々な人脈やご縁が広がったりと、例えば初音ミクの会社の「クリプトン・フューチャー・メディア」とコラボして大漁旗を製作しました。巡音ルカの周年記念イベントに参加させてもらったりとか。
-すごいですね!
全て同じではあって、夢を語り続けてそれが実現するかどうかのためのチャンスを掴むために基本的な基礎をやり続けることと、チャンスを掴むために打席に立つこと、ヒットを打つための練習をしなきゃいけない。そしたら、たまたままぐれで当たるんです(笑)
-それでもその分、行動したからこそ当たるわけじゃないですか。
でも三振もいっぱいするわけです。三割バッターはすごいと言われるけれど七割は三振したり打ち取られてるわけですし。例えば若い人たちに関していえば、事業計画書を立てるときは100%当たると思ってやってますよね
-そうですね、私もこれだ!と思って始めました。
でもそんな簡単に当たらないんです。当たらないからやりながら変えるしかないのに100%を考えられないから打席に立つのをやめてしまって、 うまく進まないんですよね。だからやりながら考えるっていうのが僕は正しいと思います。
「事業計画書」と向き合い事業を推進していく
-「やりながら考える」という話だけでいくと、始めに事業計画を立てるじゃないですか。やり始めて、「あ、なんか上手くいってるかな」「行かないかなみたいな」時って、どのタイミングで「じゃあやめる」「やめて新しいものに変える」のか、 それとも「やり方を変えるのか」と言うのは何を基準にして判断すべきなんですかね。
そうですね、周りの外部環境があるから事業計画書を立てて進んでみる必要があるんだと思います。そもそも「なぜ事業計画書が必要か」というと、電車と同じで時刻表がないと「この時刻よりも早いのか遅いのか」がわからない。 だからこそ絶対に時刻表は必要なんです。
事業に当てはめた時にこの時刻表と言うのが「事業計画書」なんですが、事業の進捗がずれてるということに事業計画書がないと気づけないわけです。 事業計画書を書くと言うことには目的があるわけで、事業計画書っていうのは単なる手段に過ぎないです。だからこそゴールに向かって進んでいった時にずれていることに気が付く。ずれているって気が付いたら次の手を考えて修正していけばいい。事業計画書にはいつまでにという期限が必ず書かれているから、ズレている時が付いたその時点が見直すタイミングだと思います。その事業を続けるか続けないかは。
-ありがとうございます!事業計画書に限らず期限をしっかり明確にしてその期限のタイミングが見極めポイントと言うことですね。
そうですね。もしくは新しい事業をするときに予算10万円と決めておいて、これを使い切った時点で撤退するなど新しいことをやるときには考えておかないとならないですね。
–それで行くと水野さんが社長に就任されてから東京に出したり、海外展開したり色々されてきてるじゃないですか。新しいことをやるために、従業員さんと一緒にやるのか、水野さんお1人でスタートするのかだとどっちになるんですか?
そうですね、僕を中心にチームを作りながらスタッフ数名とスタートさせます。なので大田原さんの言われた中間ですね。会社は平常時と非常時に同じことをしてはダメなんです。だから企業の立ち上げや、例えばコロナになってるような重大な非常時にスタッフのボトムアップを尊重しながらやりますというのではスピードが遅すぎるんです。だから、非常時やスタートアップの時にはとにかくガムシャラにつき進むリーダーが必要ですね。
-ありがとうございます!では、新規事業をやると考えたときは、平常時ではないことになると思います。まず自分でやりながら、適任な従業員さんを集めて小さくスタートした段階で、じゃあちょっと投資し始めようかというのは何が見えたら人増やすのか、お金をかけて広告やるのか判断していけば良いのでしょうか?
広告をする・人を集めるのは、最初の事業計画の時点でやっておかなければならないことです。企画立案は1人でいいと思いますが、広告を打ち出す・人を集め出すのはすでに事業がスタートした後になるので、その前の準備が大事です。
「経営理念を大切にする」が信念・哲学
『企業哲学』について教えてください
-水野さんが仕事をする上で大切にしていることを教えてください!
経営理念を大切にすることです。人は易きに流れてどうしても甘い方に動いてしまうから自分を律するものが必要なんだと思います。そんな気持ちを律するものが経営理念であって、自分は何のために創業したのか、自分は何をやりたいのかを間違わなければ、大きく崩すことはないと考えているので経営理念に書いています。大抵の経営理念は地域のために・みんなのために「こうしたい」っていうことが書かれていて、 自分だけ金持ちになって自分だけいい車乗って自分だけ彼女をいっぱい作りたいなんて書かれていないでしょ?
-書かれてないです(笑)
会社と個人の境が分からなくなっちゃうから会社って崩れていくんだよね。なので自分をビジョンに向かわせるために、経営理念を大切にすることが僕の経営哲学です。
-ありがとうございます。「会社=自分」みたいな考えじゃないですか。それでもこう、会社と自分の夢はまた別でちゃんと持った方が良いのでしょうか?
そうだな、自分の夢の実現は会社の事業を通してっていう人が多いんじゃないかなと思いますよ。創業しようとして事業を始めて、うまくいかない原因を人のせいにしたりとか環境のせいにするんだったら事業を立ち上げるのは無理だと思います。
「儲かりそうだな」だけで事業をスタートするな!
水野さんのご経験から他の社長に向けて気を付けるべきことや落とし穴になりそうなことはありますか?
-起業しようとしている方に向けて気をつけた方が良いアドバイスをいただきたいです!
これから起業しようとするのであれば、やろうとしている事業のマーケット市場がどれぐらいあるのかと、その中の自分のポジショニングを理解して自分の強みを最大限活かすにはどのようにするのか、他の会社との差別化をどうするのかは深く深く考えた方がいいと思います。
-それを考えた上での事業計画ですよね。結構忘れがちで突っ走っちゃう人もいると思うんですよね。私なんですけど(笑)
そうだね。儲かりそうだからっていう理由だけなら多分うまくいかない。
-中には「儲かりそうだな」で事業をスタートする方もいらっしゃるじゃないですか。それよりも社会貢献性が高いとかが良いってことですか?
創業する時にそこまで考えるのは無理ですね。最初は良い車に乗って素敵な彼女が欲しいぐらいが現実的かもしれないな。
-わかりました(笑)最初のタイミングは社会貢献がどうとかってよりかは、自分の自己実現をゴールにした方が良いってことですね。
それでやってみて、例えば月給が月100万円ぐらい取れるようになってからやっと地域のためとかを考えるんですよね。社員が育たないとか従業員がどうのこうのとかは問題が起きた時に初めて考えるし、1人でやってる時なんか別に自分だけ金持ちになりたいという考えで構わないですよ。
水野さんの思う『社長』とは?
生業稼業に近い5人の社長と、10人の会社の規模の社長と、30人の規模の社長として、中小零細企業で言えば100人や500人の会社の社長だとやることがそもそも違うんです。従業員10人ぐらいまでなら1人でガムシャラに働いてもうまくいきますが、30人超える頃から総務的な機能が必要になったりルール化が必要になってきて、他の地域や営業所にまたがる時にはまた組織作りが必要になってきます。だから右腕左腕が必要とか色々言われるけど、 30人ぐらいだったら別に1人で寝ないで頑張ったらなんとかなります。
-水野さんの会社さんって拠点が何か所かあるじゃないですか。 水野さん自身はお一人ですし、今のマネジメントはどうしてるんですか。移動のコストを考えると寝なかったとしても時間的な制約はあるかなと思ってるのですが…
例えば大田原さんが会社員だったとして、社長が自分よりも仕事をする時間が少ないと思ったら、ついていこうと思う?
-あまり思わないですね(笑)
思わないよね。でもこの社長って休みもなく働いてるなって思ったらしょうがないなって思うよね。
-自分も頑張ろうと思います。
だから背中を見せるしかないんです。社長なんて法人登記したらやったら、誰でも社長になれるけれど、ただ経営者として事業を10年、30年継続できるかといったら別の話になってくるし適当にやっていたら続かないです。
-間違いないです。私もとても痛感しています。
だから、社長なんか誰でもできる。最初の段階で30人を超えるぐらいまでは自分のできる範囲がとにかく大きいと思うし、やれることがとにかくいっぱいあるので寝ないでまず頑張ってみる。30人超えたところから総務的な機能が必要になるから、そのポジションの人を採用するのか誰かにやってもらうのかみたいなのを考え出すのがいいと思います。
-誰かの力を借りるからと言って自分がサボるとかではなく楽するでもなく、自分が最前線で会社を引っ張り続けるってことですよね。
メンバーに「本当は伝えたいけど、伝えられていないこと」
-従業員のみなさんに伝えたいことがあれば教えてください!
「昨日よりも今日1歩成長しなさい」かな。
-大切ですね。
あとは初心を忘れないことです。
これからの夢や目標を教えてください
10月31日に還暦になるのですが、人生を通して何を残せるかって考えると1番残して幸せだなと思うのは、「人を残したら1番幸せ」って思えるなと思っているんですよね。僕は今そこを強く思っているわけだけど、20代の時にそんなことなんか考えていなかったです。この年齢だから思うことです。
-確かに今の私は「人を残したら幸せ」とはまだ思えていないです。
僕も60歳になって業界の中では1番ってくらい会社の規模も大きくなって、このポジションになってからやっとこういう考えに至りました。最初からこの考えがあったわけではなく、そこに至るまでには段階があると思います。会社を大きくしていく中でも、最初の3人からスタートしてじゃあ10人、20人、30人ってなっていく中でも段階が必要だし、いきなりホームランバッターになろうとするんじゃなくて、たくさん挑戦して積み重ねて、それでやっと成功するんだと思いますよ。
まとめ
水野さんありがとうございました!水野さんとは今年2月に出会ったばかりで色々なお話しを聞かせていただいていたのですが、改めてどのように事業を行ってきたのかを聞くことができてとても勉強になりました。私自身、事業計画書に対しての意識が足りず事業がうまくいかないということがありました。これから起業する人であれば水野さんがおっしゃっていた「事業計画書」という名の時刻表をしっかり手にいれて事業を推進していくことが大切です。そして、都内でもOKUROJIというところでも藍染体験ができるので北海道に行けない方はぜひ日比谷までお越しください!
株式会社水野染工場からお知らせ!
▼株式会社水野染工場 公式ホームページ
https://www.hanten.jp/
▼藍染結の杜(北海道美瑛)
見晴らしの良い丘の町美瑛で「藍染体験」ができる!
https://biei.blue/