ビズスト|BIZ STORY

 

お客様から必要とされる「広告制作のプロ集団」 ステークホルダーが幸せになる経営を目指す

株式会社スマイディア 石光 堅太郎

ビズストーリー編集長の大田原です。

「社長」による「社長」のための「社長」ストーリーをお届けするのがビズストーリーです。たくさんの社長の方から、様々な視点での学びを得て自分だけのビズストーリーを刻んでいきましょう。


今回は、広告制作・印刷領域の事業で活躍をされている石光様です。




こんな方におすすめ
・二代目社長の方
・広告制作・印刷業に興味のある方
・既存メンバーの中での関係性構築に悩んでいる方
こんなことが学べる
・二代目社長のモチベーション
・家業を継ぐまでの考え方(どのような考えをもって継いだのか?)
・メンバーとの関係性構築

パートナーの課題を、印刷とデジタルの両面で解決する

事業内容について教えてください。

1979年(昭和54年)に設立した印刷業の会社です。元々は私の父親が創業した会社で、当時は滋賀県を中心にお客様に印刷物を提供しており、2023年の8月に株式会社スマイ印刷から株式会社スマイディアに社名変更をしました。現在はお客様の事業運営に関わる「広告宣伝・販売促進・ブランディング」の領域において、「お客様から必要とされるプロ集団」になるべく大きく3つに分けて事業を行っています。

1つ目は旗艦事業である印刷・加工事業で、基本的には広告やチラシなどの商業印刷を中心にカタログやパンフレット、伝票等の事務用品の印刷を行っています。

2つ目は企画・デザイン〜制作物の納品まで一貫して行うデザイン、広告制作事業です。印刷はもちろん、グラフィックデザイン、Webデザインやノベルティのデザインも行います。

-印刷を行うだけでなくてデザインもやってくれるんですね!デザインにあまり詳しくない企業様からすればたくさんの業者さんに依頼するよりも一括でやってくれる方がありがたいですね…!

そうなんですよね。それに加え3つ目として、Web・動画制作・SNS運用に関するお客様の課題解決やディレクション、新卒採用のコンサルティングも行います。Webでの宣伝が主流の1つになりつつある昨今ですが、お客様の課題というのは1つ1つ違います。お店によって、チラシが効果的である場合もあればイベントを開催する方が集客効果がある場合もあります。全員にあてはまる正解が存在しないからこそ私たちはお客様と考え悩みながら最適な課題解決策を探していきます。コーポレートサイトやリクルートサイトの制作実績も多数ございますので、気になる方はぜひ一度お問い合わせいただけたらと思います!

立ち上げに至った経緯を教えてください。

-今の会社に来て20年とお聞きしたのですが、どのタイミングでお父様から社長に変わられたのでしょうか?

丁度10年経った頃だったと思います。先代が65歳になるタイミングで変わりました。

-石光さん自身まだまだお若いと思うのですが、何かきっかけがあったのでしょうか?

元々先代は実子である私に会社を継いでほしかったんですよね。当時の私は会社を継ぐつもりはなく、むしろ自分で新たに会社を経営したいと思っていました。結果的に継ぐ立場にはなりましたが、なんだかんだ経営方針で揉めてしまいましたね。私が「自分がやるなら自分のやり方でやりたい」という気持ちがあり、そうなると先代とはどうしても進み方ややり方が変わってきてしまうんです。喧嘩まではいかないですが、究極私が継ぐか辞めるかまで発展した時もあったので、結果的に立場を譲ってくれた先代には感謝しています。

-そうなんですね。こういった二代目社長の話でよくあるのが「先代が出てきて経営方針で二代目と衝突する」ということですが、実際にそういったことが起きたということでしょうか?

確かに初めは揉めましたが話し合いで自分の考えを伝え続けました。最後は先代がビジネスマンとしてのプライドを外して、親子として立場を譲ってくれたので今があります。

-ステキなご関係ですね!先程「自分で経営したいと思っていた」とおっしゃられていたと思うのですが、具体的にやりたいことはあったのでしょうか?

就職して1年目の時にご縁があり、お誘いを受けてとある会社に転職することになったんです。その会社が、当時まだ進んでいなかったインターネットやPCを普及させるために気軽に遊べるようなソフトを作ろうとしており、学生の頃にコンピューターを使った作品作りをしていた経験を活かす形でソフトを開発する部門で仕事を任せていただいていました。そこは元々CD-ROMを扱う部門だったのですが、そのタイミングでベンチャーキャピタルになるような方々とお会いすることも増え、自分がプロジェクトリーダーだったこともあって人脈が広がり「会社を作らないか」というお話をたくさんいただいたことで意識するようになりました。

-まだまだ若い時にすごいですね!

自分が大手のメーカーの社員だったこともあってお話はたくさんいただきましたが、実際皆さん価値とか可能性をもって「大手と組んでビジネスを軌道に乗せたい」という思いで来られます。そういった姿を見ていると、起業に興味が出る一方ビジネスをきちんとお金にする難しさも感じるわけです。現実的に考えればお金の問題もありその話に乗るわけにもいかないですし、どんなビジネスなら盛り上がるのかは自分では見つけられなかったこともあって、会社の一員としてプロジェクトを進めるという道を選びました。

-でも今会社をやられているわけですし、なにか心変わりするきっかけがあったということですよね。

そうですね、当時私は25歳になる手前でしたが立場もあり、いろんな人にお会いして大きな予算もいただいてやりがいも十分でしたし不満もありませんでした。一方、プロジェクトリーダーであっても管理職ではなかったので、組織の中にいると「自分だったらこうやるのに」ということを実現することが難しく、自由度は低いと感じていました。結果、新規事業を立ち上げてキャッシュをたくさん生み出せるような、ビジネスを経験して早く退職して独立する方が多い会社に転職することになりました。

-めちゃくちゃ忙しそうですね(笑)

間違いなく忙しかったですね。ビジネス感覚も含めて意欲的で刺激的な方もいらっしゃいましたし忙しい分経験を得ることができました。でも本当に忙しくて、誰か訴えたら勝てるんじゃないかってくらい忙しかったものですから、結婚を考えていたタイミングでもあったので、家族や自分の時間を増やすためにもずっとここにはいられないと感じ、パートナーの異動を機に自分も辞めることにしました。

かといって自分が会社を立ち上げてやりたいことが見つかっていたわけではなかったので、どうしようかと考えている中で「そういえば親父、会社継いでくれって言ってたな。」と。タイミング含めてちょうどよかったので、一旦実家の家業の方に戻ってみてから考える時間を作って自分の方向性を決めようと、跡を継ぐという感覚は薄かったのですが戻ることにしました。

-経営者として先代から代替わりするまで10年くらいあるわけですよね。その10年間は普通に一般の社員さんたちと一緒にお仕事されていたんですか?

していたりしていなかったりというのが正直なところです。結局その世界では私は素人ですから、役員という形で戻ったとはいえ現場で機械を動かす技術はないわけですよね。でも私が社長の息子であることは知っているのでなんとも居心地が悪い。仕方のないこととはいえキツイですよね。

その中でも自分の給料分くらいはなんとか仕事を作ろうと、東京の方で印刷業と全く関係のない、以前勤めていた会社から業務委託を請けたりして売り上げを立てていました。その中でおもしろいのが、東京で仕事をしていると「今回は業務委託で」とか「今は実家の印刷業をやっているんです」と自分の話をする機会も増えて、印刷会社だと知った皆さんが声をかけてくださって印刷の仕事も入ってくるようになったんです。最初は自分の収入分の売り上げだったのが社員の仕事も入ってくるようになり、少しずつ自分の居場所が生まれていきました。

-すごい、元々は別の仕事で東京に行かれていたのに本社の印刷の仕事を増やせるようになったってことですもんね!

そうなんですよね。加えて、当社の工場は2、3月が繁忙期でどれだけ人がいても足りないくらいには忙しかったのですが、人手が少なくなる時間に手伝いに行って夜中まで作業したりしていくうちに工場の方でも自分の居場所ができるようになりました。

-コミュニティとしてできあがっている所に自分の居場所を見つけることってとても難しいと思いますし、ましてや自分の会社での立ち位置を考えると結構苦しいですよね。

最初は「なんでいるんだろう?」という存在だったと思いますし、浮いていましたしね。しんどい時期でしたが自分が伸びるための時間だったとも思います。

もう1つ、東京と滋賀のスピードや価値観の違いは結構キツかったですね。私自身は大学で上京してそのまま社会人になったので、仕事の価値観は基本的には東京で作られたのですが、東京と滋賀の感覚がまったく違って、頑張ろうとすればするほど空回りするんです。その状況や気持ちを整えるのにすごくストレスがかかりました。今はバランスが取れるようになりましたが当時は楽しくなかったですね。

-当時一緒に働いていた社員さんもいると思いますが、今でもその当時を振り返ったりするんですか?

やはり朝の3時4時に働いていたあの頃と今を比べると全然違うねって話はしますよ。過去がどれだけ大変でも今がよければ美談になりますし、そうやって昔のことを笑い話にできるのは今うまくいっているからですよね。

事業成長の秘訣は、事業の拡大と人材育成

競争優位性について教えてください。

-石光さんに代替わりされてからここまで事業を伸ばしてこられた要因ってどこにありますか?

まず、会社がうまくいくためにはいくつかの要素が必要になるのですが、その1つは確実に売り上げだと思います。かつての私が独立に踏み切れなかった理由の1つでもありますが、売り上げが上げれるかどうかというところは非常に大きなポイントで、今スマイディアがうまくいっているのは東京エリアに懇意にしていただけるお客様ができて定期的にご依頼が入ってくるからです。また、そういったご依頼をいただけるお客様の期待に応えられるようなクオリティの仕事をお返しできるスタッフが育ったこと、この2点が大きいと思います。

それこそ最初の方は東京のお客様からご依頼があったら私も関わって制作していましたが、今では関わらなくてもきちんと回るような仕組みや体制、人材も育ってきているのでご依頼が増えても対応ができて売り上げがしっかりと上がっているというのが伸びてきた要因なんだと思います。

-石光さんもこの会社に戻ってこられた時は未経験だったと思うのですが、社員の皆さんのマネジメントという面ではどのタイミングで行ってこられたんでしょうか?

これはうちの会社の事業内容にも関わってきますが、印刷物を作るというのは究極、設備があればどこでもできると思います。じゃあどこで仕事が決まるのかというと、その印刷物を作るまでのプロセス、お客さんが困っている部分にどれだけアプローチできるかです。つまり「何かを作って終わり!」ではなく、お客様と一緒に考え話し合いながら課題を解決し、お客様が達成したいことに導く事が必要になります。

それらはデザインやプランニングや企画など様々ありますが、私1人が考えて突き進んだのではなく社員にサポートしてもらったり、逆に私がサポートしたり、一緒に育ったと表現する方が自然ですね。私が教えられることは全て教えましたが、自分が助けてもらうことも多く、教えたというよりも私と社員含めてお客様の仕事の中で成長させてもらいました。

「仲間と共に成長する」が信念・哲学

『企業哲学』について教えてください

-石光さんがお仕事をする上で大切にしていることはなんでしょうか?

1人ではなく、「仲間と共に成長する」ということですかね。若くしてプロジェクトリーダーを任せていただいていた時に経験したことですが、当時の私はプログラムも書けて、企画も考えてデザインもある程度は自分でできたので、「いいものを作りたい、いい仕事がしたい」っていう気持ちが先行して「こんな風にしてほしい」とか自分の思っていることをプロジェクトメンバーにぶつけるばかりで人の気持ちを見れなくなっていたんです。そのうちメンバーの1人が会社に出てこれなくなってしまったことがあり、その経験は自分の中でも大きな出来事で、仕事のやり方を見つめ直すきっかけになりました。

-リーダーシップとは言いますが、確かに1人が先行してしまってはチームとしてはうまく成り立たなくなってしまうこともありますよね

まさにその通りで、1人のリーダーの大きなリーダーシップでプロジェクトが進んだとしてもそのリーダーの能力以上のものは生まれないわけですよね。もしかしたらある分野ではAさんがリーダーよりも優れていて、それ以上のことができるのであればそうである方が絶対いいですよね。できるできないではなく、メンバーができることを少しずつ持ち寄って1人だったらできないけれど 2人だったらできる。2人だったらできないけれど、5人だったらできる、みたいなチームを意識してそれぞれが補い合ってチャレンジしていくことって経営の根本だと思いますし、今自分に経営者としての目線があるからこそ、そのことをより感じます。みんながいてくれてこその自分ですし、「みんなのために自分が何ができるのか?」っていう考え方をもつように心がけています。

石光さんの思う『社長』とは?

創業者や二代目といった立場の違い、ご本人の性格、会社の状況などによって変わってくると思いますが、社長というのは会社の中での役割のひとつだと思っています。先ほどもお話ししたように、みんなができないことを社長がやれるのが一番いいですし。

二、三代目という観点からお話しするのであれば、創業時期は「頑張る=結果が出る=収入が上がる」という形になるのでみんな頑張りますが、二、三代目の場合、事業が軌道に乗って安定していることも多いですからモチベーションが保てなかったりするんですよね。経営者に必要なことというのは状況によってもちろん違いますが、私は「経営者=責任者」だと思っているのでその責任者として、責任者だからこそやらなければならないことをきちんと見据えいることが大事なんじゃないかなと思います。

-確かに創業者の方と二代目、三代目の方って、思いのかけ方が違いますよね。自分が立ち上げた会社ではないとどうしてもモチベーションを保てない瞬間があるのってわかる気がします。

だからこそその両方ができる方ってすごいんですよね。ZOZOの前澤社長とか、あのレベルになってくるとボランティアや若者のために何かしたいみたいな、創業者でもある一定のレベルに達するとそうなれるんだと思いますよ。中途半端って言ったらあれかもしれませんが、ハングリーな時期は会社を大きくしたいとか多分そういうことを考えますよね。ですが二、三代目になるとそういうハングリー精神よりは、ステークホルダーにどう還元していくか?みたいな方向に向かうでしょうし、私の場合はそれがお客様や社員たちにあたるわけです。自分の仕事に関わってくれる人たちが応援してくれるような、幸せになってくれるような経営を目指しています。

メンバーに「本当は伝えたいけど、伝えられていないこと」

「いつもありがとう」ということ、もう1つは「実は私は人見知りで、コミュニケーションが上手なように見えるけど実は頑張ってるんだよ」ということです。

-え!全然そんな風に見えませんでした!

でしょう?本当は出なくていいなら出たくないし目立ちたくないのですが、お声がけいただくのでこれは社長の役割の1つだと考えて頑張っています(笑)

これからの夢や目標を教えてください

経営者やビジネスマンなら会社をどうしたい、とかになるのかなと思いますが、私はやっぱり今一緒に働いてくれているメンバーが心の底から株式会社スマイディアで良かったと思ってくれること。ここがいいと周りに勧めてくれるような会社にしたいです。

今はデジタルの時代ですが、最後に残るのって「人の心」だと思うんです。思いって目に見えないし形にもならないし、数字に表せるかどうかもわからないものですが、すごく大きな価値がそこにはあって、仕事ってそれを受け取って伝えての繰り返しですし、それが縁になります。縁って不思議なものですね。その縁がなかったら私は今ここでインタビューを受けていないわけですから。

-間違いないと思います

人の縁がお仕事に繋がったり、発展して可能性を生み出してくれるものです。人の思いは何よりも大事にしなければならないと思います。

まとめ

石光さんありがとうございました!

いかがでしたでしょうか?二代目社長のリアルなお話がたくさん聞けて非常に勉強になりました!インタビューの間何度もおっしゃられていた「人とのつながりを大事にする」ということは本当に大切なことだと思いますし、このビズストもインタビューさせていただいた社長様からのご紹介で縁を繋いでいただいた方がたくさんいらっしゃいます。

仕事をするのは結局人ですし、どんな大企業も人ありきです。

ビズストはこれからもそんな社長様たちの思いを伝えていきます!

株式会社スマイディアからお知らせ!

▼株式会社スマイディア 公式ホームページ

https://special.sumaidia.jp/

▼「しがSDGsの仲間たち」

 

株式会社スマイディア

代表取締役社長 石光 堅太郎

1971年生まれ。大学卒業後、東京の企業に勤めながら経営を志す。 リクルート退職後、2005年に株式会社スマイ印刷工業(現:株式会社スマイディア)取締役に着任、滋賀に戻った後も東京での関わりから事業を拡大し、東京事業所を開設するなど活動拠点の拡大を行う。 2013年に代表取締役社長に就任し、2023年に社名とロゴを一新。「大切な人たちと共に笑顔あふれる社会の実現」を目指し、印刷物にとらわれない幅広い商品提供を行う。
詳細ページへ

新着インタビュー記事