成田屋株式会社 成田 敦
今回は、建設業界領域の事業で活躍をされている成田様のビズストーリーをお届けします。
- こんな方におすすめ
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・起業しようと思って何年も踏み出せない方
・どんな業界にチャレンジしたら良いかわからない方
- こんなことが学べる
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・仕事の中からたくさんの事を学ぶ事が出来る、どんな業界にいても自分次第でどうにでもなる。
・リーダーシップとマネジメントの楽しさと難しさ
成田屋株式会社 成田 敦
今回は、建設業界領域の事業で活躍をされている成田様のビズストーリーをお届けします。
2011年に創業して、最初はくさび足場資材の販売の事業からスタートしました。その後、2014年に福島県で足場工事の事業をスタートし、次に北海道室蘭市、その2年後に広島で足場工事業をスタートしました。
創業7年目くらいからは足場資材の販売から更にレンタル事業を始め、10年目以降から大規模修繕工事の事業をスタートしました。現在は、販売・レンタルの事業、大規模修繕の事業、足場工事の事業と大きく3つの事業に分かれています。
売上の構成比ということで、販売・レンタルが約45%、足場工事が35%、大規模修繕工事が20%程度です。
僕は元々プロ野球選手を目指していましたが、甲子園出場を機にプロでは活躍出来る可能性が見いだせず限界を感じて、甲子園球場の中にいる時に即断いたしました。その後、大学に行きますが、何も目指したいモノ、やりたい事が見つからないまま1年以上の歳月が経ちました。そんな中、一緒にアルバイトしたり、一緒にゲームしたりドライブするような知り合いが出来、20歳になりアルバイトしたお金で友達と朝方までお酒を飲むようになりました。僕は一所懸命毎日アルバイトをしているのに、その友人達は高いクルマに乗り、外食しお酒を飲むお金も仕送りで賄っていました。公務員の家庭に育った私にとっては全く生活環境の違う友人らの毎日の生活がとても羨ましかったことを覚えています。
大学時の夏休みや冬休みに友人達の実家に遊びに行き、ただで寝泊まりし、夕食は友人の親御さん達に焼肉やしゃぶしゃぶやお寿司に連れていってもらえる日が何日もありました。学生時代の僕はまだまだ食べ盛りで、恐らく当時は15人前ぐらいをペロっと食べていたと思います。その時の金額はいくらだったか覚えていませんが相当な金額だった筈です。それでも友人のお父さんとお母さんは、とても嬉しそうで、且つとても活き活きとした表情で、私に会社の事、家庭の事、ゴルフの事、仕事の事を語り接してくれました。本当にあの時はありがたかったな~と。経営者である友人達のお父さん、お母さんと接して私が感じた事は、“人生を生きてるな~、自分自身の足で自立し、人生を楽しんでいるな~、世間がみんな仲間だな~”と感動したことを今でも鮮明に覚えています。
大学卒業1年目の秋に、私の父は56歳にして亡くなりました。「人は死ぬ!」人生は有限性であることを強く意識するようになりました。そこからサラリーマンとして雇用された中で6社ほど転職し、どこかで起業するためにいろいろな職種や経験を積んでいきました。
40歳頃に「起業するぞ!」と決意し仕事をしながら動き始めたんですが、怖くて恐くてその時にいた会社を辞めることが出来ずに悶々とした状態にいました。そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が起き、NHKラジオから流れる何百人、何千人もの遺体を見たアナウンサーの絶叫の声に、とんでもなく恥ずかしい気持ちになりました。「もし自分で起業して上手くいかなかったとしたって殺される訳じゃない。生きたいのに生きられなかった人と較べたら恐怖やリスクなんて、どうでもいいだろうが、この馬鹿野郎が!!」」
ようやく決断と覚悟が決まりました。
-震災がきっかけだったんですね。その後はどのように進めていったんですか?
震災の後すぐに、川崎市に融資の相談に行きました。そこで資金調達するにあたっての準備と順番を教えてもらいました。4月末に被災地の状況を見に行き、事業のスタート地点が決まりました。
そして、3月26日に当時働いていた会社の社長に辞意を伝え、6月1日に会社を設立しました。この期間も前にいた会社とはいろんな問題が生じましたが、何とか退職出来て起業するまでに辿り着きました。
-起業を決意してから実際に行動に移すまで、かなり葛藤があったんですね…
そうですね。でも、結局のところ、「自分で責任を取ると、決断と覚悟ができたら、そこでスタートOK」なんです。ビジネスモデルや儲かるビジネスか、業界選びかなんて深く考えたら考えるほど、事業をスタートする事、起業するなんて事は出来なくなってしまいます。
事業をする際に大切なことは、自分自身が「今がチャンス」と感じられているか?だけです。チャンスにもピンチにも見えるのはあなた次第だという事です。起業するまで42歳までかかってしまいましたが、今思えば、もっと早く、例えば28歳や30歳くらいで起業していても今と殆ど変わらなかったと思いますし、何とかなっていたと思います。
これを見ている人にお伝えしたい大切なことは、とにかくサラリーマンを辞めて創業経営者になった人の話をたくさん聞くことです。サラリーマンの状況でも、創業して事業を作っていった人たちから話を聞けば、自分の中にある何かを発見できるはずですし、自分のことが解かるはずです。そういう環境に自分から飛び込んでいくことも重要だと思います。
–ここまで事業を伸ばしてこられた要因ってどこにありますか?
そうですね、6年目から7年目までは僕がプレーヤー兼マネジャーとしてやっていました。しかしながら、元々営業マンとして20年以上の経験がある私が営業マンを育てようとすると、中級者以上の人にしか教える事が出来ませんでした。いわゆる初心者に教える事が出来ない、新人に教える事が出来ない。業績が下がるのは承知の上で、また会社が潰れるかもしれないことも覚悟の上でマネジメントする立場から勇気をもって降りました。これはさすがに辛い決断でした。
正直、社長が得意な職種で社員をマネジメントしてると、ものすごい会社が殺伐としてくるんです。2代目や3代目の経営者だったらまた違うのかも知れませんが、 創業の経営者って、最初の事業立ち上げた時、当然ながらプレイヤーで売り上げの90~100%を社長1人で作っているわけですよ。
おそらく創業社長で多いのが、社長が1番営業としてのトッププレイヤーなんですよね。入ってくる社員は別に事業家でも創業経営者でもないので、働き方自体全く違う立ち位置にいますし、会社の見え方、考え方が全く違うんですよね。社長から見ると、残念ながら穴だらけに見えてしまいます。どのようにしたら社員が成果を出しやすくなるのか、パフォーマンスが良くなるのか?と考え、会社内の組織作りや社内システムの見直しなどをやっていきました。自分がマネジメントしていると当然社員は叱られたり、厳しい言葉も言う時があります。そうすると社員のみんなが都合の悪くなった時に、話さなくなったり隠蔽体質になったりします。それはマズいな~と気づいた時から、社員との関わりを完全に変えましたね。
-これから事業を伸ばしていくにあたって課題になりそうなポイントはありますか?
ここから先10年くらいは別に大きいことや課題って私の中にはあまりなくて、、、幹部らを事業責任者として任せているので、ある意味幹部らが今は事業の経営者です。従ってその事業を幹部のみんなが拡大したい、次のチャレンジでどのような目線が、視点が備わっていくのかという好奇心と、事業を拡大する目的が一人一人の鍵になってくると思います。
この間、幹部クラスとのレクレーションの場で提議したことは、「今の売上がグループ全体で26億円くらいです。何年かかるかわからないけど、売上が今の2倍になるようにしたいと思うんだけど。どうするか考えてくれるかな?」ということを幹部みんなに話しました。これから彼らのイマジネーションや可能性に対する知恵と知能が開花されてくると思います。
工事業である当社の事業の中で、仕事の中には日常的にリスクが沢山あって「安全にスムーズ」に遂行していると思っていても、ルール、システムが陳腐化してしまったり、作業しているヒトが何らかの思い込みによって勘違いしている事が幾度とあるものです。最終的にヒトがチェックしなければならないモノ、そこに気づける為には仕事の経験、現場の経験が必須だし、自分の体験を常に学びに変えていかなければならないです。
だから、各リーダー、幹部クラスが次の自分たちの目的や志に向けて、日ごろの目標設定、PDCAを常にレベルアップし、更新しメンテナンスしていかなければなりません。
–成田さんが経営をする上でこだわっていることはなんでしょうか?
2年半ほど前に、会社の価値観や基本理念、ビジョンと使命、社員の価値観というのを改めて決めましたね。創業した時から作っていましたが、事業領域もかわり私自身の事業に対する考え方も、仕事するというスタンスも変わってきましたので、改に作り直しました。この部分が一番大事だと思っています。
会社を設立してすぐのタイミングから、社員に言葉が伝わらないっていうのをとても強く感じていたんですよね。なんか違うっていうのは、サラリーマンで部長や課長とかやってるときは、その会社の人たちなんかすごく対等感があったんです。経営者になった途端、ここにもすごい境界線があるということを感じて、そもそも日本語の特に熟語が伝わらないという壁にぶつかりました。
とにかく仕事をする上で、会社の中で「共通言語を作らないと」と思ってたわけです。ただ作るのではなく、飾りにするのではなく、現場のメンバーにしっかり伝えていけるようにならなければならないと思っていました。
今回の理念や価値観は1年以上をかけて私の言葉を幹部のみんなで解釈し、最終的な言葉に落とし込んでいます。私は最終的に少しは調整しましたが、事業責任者である幹部が自分の言葉として落とし込んでいきました。
起業前のほうが重要です。僕は「うまくいくであろう業界に行こう」みたいな選択をしちゃったんですよ。とにかく「そのビジネスモデルや商品、何か独自性があります」とか強みがないと事業ってうまくいかないと思ってたんですよね。
ただ、それは全然違うよって言ってあげたい。今いる日本の社会が、起きてる現象が事象が全てがビジネスチャンスなんですよと言ってあげたい。逆に言えば、全部がチャンスなら、全部がピンチです。いわゆる両方の側面を常に社会は提示してくれていると感じています。
人が喜んでお金を払たくようなサービスや仕組みを作る、事業として先に進んでいくところはどうでもいい。正直、ビジネスモデルや商品、業界などは全然考えなくていいよと伝えてあげたいですね。
だから、僕は42歳まで、いろいろな業界全般、サラリーマンとして働いてきたわけだけど、自分は「会社が存続していくために」と、うまくいくような業界や商品とかサービスを探し続けたけど、やっぱりそれって幻想でしかなくて、起業する前も、起業してからも結局のところ、そんなモノは存在しないという事が分かりました。
だから「自分がやる」って決断ができたら、それでOKで、そこまで深く考えなくてもスタート出来てしまいます。重要なのは自分がプレーヤーを辞める時!
大企業や中小企業・創業社長の会社などの違いについて、社員に対して自身の動画を撮影してYouTubeでいろいろと配信している内容です。
中小企業の魅力や創業して間もない会社で働く魅力が何かと言うと、自分の成果を感じるまでのスピードが速いし、社内での役割や期待の変化のスピードが早い、大手企業や大きな会社では感じることがなかなか難しい、自身の変化を短時間で感じられることだと思います。
昔は、会社に20年勤めて、やっと事業を作っていける側になれるような時代でした。でも、今の時代、特にうちの会社だと5年や7年で事業を作っていける側になれる会社です。
そこの違いをもっと若い社員に伝わって欲しいな~と思ってます。この間も入社3年以内の社員の人達に私が研修を行いました。いろいろな思いを伝えもちろん、この変化のスピードの事も沢山話しました。どの程度伝わっているか分かりませんが、うちの会社で働くことの意味や、働くことの価値を是非、理解してもらえたらなと思います。
僕は、自分の夢や目標を達成するために会社を作ったわけじゃないんです。
例えば、私自身の中に「今後5年で売上70億円の会社を作る」や「全ての政令指定都市に事業所や拠点を作る」などの目標はもちろんあります。
でも、それは結局のところ、社員のみんながより「信頼・信用・自由・責任」の基本理念の基、更に沢山の人達が活躍できる環境が出来ていくことなんです。 会社が大きくなって、とても多くの人に機会を提供できるし、社員のみんなのキャリアの選択肢や収入の可能性ももちろん広がりますからね。
個人的には、この日本の建設業界全体の労働者が増え、日本人でも外国人でも偏見もなく、みんなが活躍出来る、働ける環境になっていく事に貢献できたらなと考えています。安全性の向上や、働き方改革、技術革新など、業界にはまだまだ未来の可能性や課題がたくさんあります。今後の課題に一つずつ向き合っていくことで、業界全体の底上げに貢献できればいいですね。
また、今まで社会人として仕事の中で培った経験や見識を将来にかけて、社内の社員の育成やこれから起業する方、事業を興すことへの支援をしていきたいと思っています。日本にはもっともっと起業家が増えてほしいし、起業家精神を持ったビジネスマンが増えて欲しいと思います。チャレンジ出来る環境やチャレンジしたくなる文化が日本の中に根付いて欲しいと思います。
社員のみんなはもちろん、お客様や取引先、さらには業界全体や社会に対して、貢献し続けられる存在でありたいですね。自分一人の夢を追うよりも、多くの人の夢や目的の実現に向けて関わっていけることが、私にとっては今もこれからも、ずっと大きな喜びを感じれるのだと思います。世の皆さんに良い影響を与えられるよう、これからも自身が学び、更に努力し続けていきたいです。
▼成田屋株式会社
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